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ツモ爺のひとり言バックナンバー  (2004年1〜12月)

「人間最後の幸せ」(2004年12月)


ツモ爺も年頃で他人の死が気にかかるようになりました。先日も知人の告別式に参列しました。故人の写真とは別に在りし日の元気な写真が別に飾られていました。

それは、故人がスキーが大好きで、雪の中の写真で素晴らしい風景の中に立つポーズでした。家族が故人の心情を察しての写真の掲示だと思います。

最後のお別れの時がやってきて、お棺にお花を入れてお別れをする時、棺の中には故人の好きだった雑誌と本が飾られていました。そして、奥様が最後のこととて、故人の頬に頬ずりされるさまを見ました。

ほんとうに「ジーン」としました。生前の夫婦仲のよさを垣間見たような気がしました。幾多の葬儀に参列していますが、こんなシーンを見たのは初めてでした。

そして、人間の一番最後のしあわせはこれではなかろうか、と思ったのです。
 



「皇居の勤労奉仕に伺って」(2004年11月)


10月12日〜15日の4日間、皇居勤労奉仕(清掃奉仕)に行ってきました。そこで二点気付いたことがありました。その一つは、天皇、皇后両陛下と紀宮殿下のご会釈がありました。

幸い陛下のお立ちになった場所から2〜3メートルのところに私は位置していて間近でご容姿にふれることが出来ました。

日頃、写真や報道で受けている印象と間近の陛下とでは随分違うなというのが偽らざる私の実感でした。

素晴らしい紳士・ジエントルマンというのが私の実感でした。団長にご質問があり、団長も少しあがり気味でお答えしていましたが、最後に「元気で・・・」のお言葉を頂戴しました。

二点目は現代社会の私たちは専ら”効率”を旨として動いています。すなわち、より速く、より安くがモットーです。しかし、皇室は伝統に従って動いておられます。

それは、こんな作業を通じて感じたのです。天皇陛下が自ら田植えをされて、それをまた刈り入れをされた稲穂の脱穀の作業を、私たちは一粒ひとつぶを手で脱穀をしました。係りの方に聞いても昔からこのやり方でやっているとのことでした。

歴史と伝統に育まれた皇室のあり方をかい間見た4日間でした。
 


「近隣度」(2004年10月)


と言っても何のことか分からないでしょうが、これは、あなた自身が近隣社会にどれだけ知り合いがあるかということです。

実は毎朝カミさんと犬を連れて約30分ぐらい散歩をしています。その途中でカミさんが「おはようございます」と挨拶をする人が10人のうち約4人ぐらいいるのです。つまり、近隣社会で知り合いがあるのです。

違ったコースを歩いても同じ割合なのです。小生といえば全然知らない人ばかりで近隣には挨拶の出来る人が殆どいないということになります。

よく言われるのが、定年退職したら会社の縁は切れ、近隣にはさっぱり知り合いがいない、まさに、おかに上がったカッパよろしく、かみさんだけがたよりで、カミさんの行くところ「ワシも行く」といった”わし族”になります。

その点、カミさんは”社会協議会”で近隣のお世話をしたりまた、カラオケ友達もたくさんいます。とうてい太刀打ちできないのはあたりまえ、しかし、やはり、これからも地域社会に生きていく以上もう少し心がけねばならないと、しみじみ思うのでした。
 


「マスコミの一部は意図的!?」(2004年9月)


オリンピックの感動はみなさんがご覧になったとおりです。しかし、報道は偏っています。いちばん感動するシーンは金メダルを獲得して国旗が掲揚され、国歌が流れてくるシーンではないでしょうか?

しかし、意図的に国旗の掲揚と「君が代」の流れるシーンは最後の1〜2秒しか写しません。まさに彼らは日本の国旗、国歌が嫌いなのです。このことに気ついた人が『サンケイ』の談話室に同じような趣旨を投書していたのをみると私ひとりが感じたことではないようです。

インテリ・知識人の一部には国の将来を暗くし国旗、国歌は彼らにとって価しない存在であるのです。それがインテリ・知識人の価値観です。従ってマスコミの一部は国が国らしく生きていくことを拒みます。国より市民という言葉をよく使います。

しかし、国がなくて、いったい誰が国民の安全と自由を守るのでしょう。その大事な国を貶(おとし)めることを、一部のマスコミと自称インテリが意図的に計っていくことが自分たちのプライドだと思っています。

小泉首相の靖国参拝訴訟でクロと判定した裁判官も偏向しています。
教科書問題もそうです。このことをみんなが知る必要があるように思いますがいかがでしょう。
 


「カラスの独り(ひとり)立ち」(2004年8月)

『カラスの女房』、(変わった題名ですぐ覚えられる)堀内孝雄の歌でよく聞きますが、ここのところ、家の近所で毎朝カラスの鳴き声が急にはじまり、妻と「やかましいね」とボヤクことひとしきりです。

聞いていると、カラスの鳴き声はどこか幼く、ギコチなく、それでいて連続して鳴くのだからとても喧しい。

察するところ、これまで親鳥がエサを与えていたのが親が与えなくなり、朝になると腹を空かした幼鳥が激しく鳴くのではないかと思うのです。つまり、ひとり立ちの時期がきて、親が面倒をみなくなったのでしょう。

人間はパラサイト、シングルと称していつまでも親に寄りかかって、生きていく、独立できない人が多くなっています。

その点、カラスは冷酷なのか、動物全般のオキテ(掟)なのか、いずれにしても、我が家の周辺では毎朝カラスの鳴き声で悩まされている次第です。
  

「新たな発見」(2004年7月)

昨日は、いつも散歩する道を逆に歩き始めました。つまり、いつもは北回りのコースを逆に南回りに歩き始めたのです。毎日同じ風景を見ているはずですが、なんと違った風景に見えることでしょう。

同じ樹木も北から見るのと南から見るのとまったく違った印象に見えるのです。なぜ、こんなに違って見えるのか、不思議にさえ感じました。

私たちは毎日のように人を見たり、モノにふれたりしていますが、写真を写すときのアングルのように、一定の角度でしかモノを見ていないのではないか?違った角度で見る必要があるのでは・・・と、ふと、その時感じたのでした。

特に人から受ける印象には固定したイメージや概念にとらわれて、「この人はこんな人」ときめつけているような気がします。「この人にはこんな良い点があったんだ」というように。皆さんも、手始めに家族の方々を一度、角度をかえて見直してみませんか。
 

「盲点を目覚めさせてくれる本に出会いました」(2004年6月)

最近、日本の長者番付が新聞や週刊誌で話題になりました.その中のひとり「斎藤一人」氏の言っていることを書いた本を読みました。 『斎藤一人の世の中はこう変わる!』小俣貫太 著 東洋経済新報社発刊 多くの教えられることがありますが、その中でツモ爺が一番感じたことを紹介したいと思います。

「新規客より目の前のお客さん」
居酒屋さんがあるとする。昔は流行(はやって)いたけれど、今はお客さんが3人しかいないと嘆いている。このままでは潰れてしまう、どうすればいいんだ、というわけだよ。これは簡単だ。その3人を大事にする。その3人の喜ぶことを、ひたすら考えて実行していけばいいんだよ。

3人が喜べば明日も来る。明後日もくる。それから友達を連れてくる。そして、新しくやって来たお客さんを、また、ひたすら大事にする。来たお客さんを皆、喜ばせていれば『あそこの店はおもしろい』と評判になる。そして繁盛していくんだよ。

目の前にお客さんがいるのにそれを忘れて、『このままで大丈夫かな?』なんて言っていたら、その3人のお客さんも来なくなってしまう。目の前のお客さんをとにかく大事にして、喜ばれることをする。

この文章は私達が商況が悪くなると、つい新規客をどう獲得するかに走り勝ちです。つまり盲点があることです、それを目覚めさせてくれます。この他私達の盲点を目覚めさせてくれる点が多数書かれています。

やはり、長者番付に連続登場する人は違うなあと感じた次第です。ちなみに、斎藤一人氏のお仕事は健康食品のお仕事のようです。

「みんな話しを聞いて欲しいのです」(2004年5月)

みなさん夫婦の間の会話はどうしていますか。もちろん、夫婦ですから言葉を交わさないというのは、危機的な状態ですが、事務的な会話しかしてないのも、いささか危険ではないでしょうか、やはり、心の会話、お互いの考え方、希望などじっくり話し合う時間が必要です。

ツモ爺の場合話がはずみやすい機会は3つあります。まず、夫婦が犬を連れて散歩をするとき色々な話題がでます。友達の話、これからの予定、話題は多岐にわたります。次は車に一緒に同乗した時です、これも邪魔が入らずゆっくり話ができます。

さらにお風呂に入った時もリラックスできて本音の話がしやすいタイミングです。いずれにしてもゆっくり相手の話をじっくり聞くことが、ツモ爺は大切だと考えています。真剣に相手が聞いていないのは「むなしい」ことです。

幼稚園に行っている孫の話も真剣に聞くように努めています。そのほか人の話を聞くときは、相手の顔を見て、あいづちをうつようにしています。みんな自分の話を真剣に聞いてほしいのです。私だって相手が真剣に聞いてくれているな、と思えば、胸のつかえがおりたような気がします

「時間の価値 」(2004年4月)

若い頃、何かの本で、松下幸之助さんが、このようなことを言っておられたことを記憶しています。「もし、青春を私に譲ってくださる方があれば、私の全財産を差し上げてもよい」。

この言葉に驚いたことを覚えています。そんなに青春に価値があるのだろうかと不思議に思ったのでした。ツモ爺も74歳、考えてみると残された余命もそんなに多くは無い、まだまだやりたいことがたくさんある、そう思うと松下さんがいった言葉がうなずけるようになりました。

ですから、1年はもちろんのこと、1ヶ月、たったの1日といえども貴重に思えるのです。若い頃は、無限の時間があるように錯覚して、無駄に時間を浪費してきましたが、年老いて有限の時間に気がつくと、前述のように、時間の貴重さがわかります。

しかも、夫婦が揃って健康で、時間を共有できるのも、いつまでだろう、よけいに1日1ヶ月が貴重に思えます。私と同じの歳の従兄弟もすでに世を去り、私より年下の従兄弟までがこの世にいないのです。

時間は平等に与えられていますが、年齢により、人によりかくも価値が違うのかとつくづく考えさせられる今日この頃です。

「イラク自衛隊の派遣どう思いますか?」(2004年3月)

ここ3ヶ月いろんな報道で自衛隊のイラク派遣について論議されていることは皆様ご承知のとおりです。自衛隊が働くイラク現地の取材に派遣されたマスコミの報道によれば、医療、水道その他の民生の施設の回復に現地の人たちから大きく期待されていることがわかってきました。

それであれば、たとえば地震災害に世界各国から駆けつけるのと変わりがないような気がします。いわば人道上の問題と同じような感じがするのです。自衛隊の方たちには無事帰国されることを祈りますが、先日、明石市の火事の現場で惜しくも命を落とされた消防士2名、また、東淀川駅構内で人命を助ける途中、走ってきた電車に巻き込まれて亡くなった消防士を思い出します。

消防士、警官いずれも危険のつきまとう職業です。亡くなった方には深く哀悼の意を表したいと思います。「自衛隊員の一兵たりとも死亡は許さない」の論調は、このことに対してどう考えるのでしょうかね。

日本の国民の一人として疑問を感じる次第です、皆様はどうお考えになりますか?

「そろそろ人生を卒業する時期かも?」(2004年2月)

1月の20日の『サンケイ』新聞に企業人の訃報(亡くなった方の知らせ)がやや多くて、8人の方が載っていました。私も歳ですから自然に死亡年齢に目がいきます。8人のうち73〜74歳の方が4名と半数を占めます。

ツモ爺も3月には74歳を迎えます。死亡適齢期?真っ只中にいます。今の心境は一日いちにちが、いとおしいと言いましょうか、一日を充実した日でありたいと願っております。”あと”が無いという心境です。

そこで、一日を大事に使っています。商売をしても、人様に出来るだけお役に立ちたい喜んで頂ければこれにこしたことはないと思っています。でも、市場や流行などを研究していかなければ、皆様から見放されてしまいます。この点は年齢は関係ありません。

生きている限り自分を磨き技を極め、そして人様のお役に立つことが出来れば、最高の人生をまっとうすりことになります。天に召される時はわかりませんが、生きている限り、現役です。一生懸命生きていこうと思っています。
 

「母親の読み聞かせ」(2004年1月)

 明けましておめでとう御座います。本年もどうぞよろしく。

今回はいささか、手前味噌でおこがましいのですが、お読み頂ければ幸いです。
昨年末、2学期の通知簿をもらってきた、孫娘小学2年生、れなちゃんの国語の欄に担任の先生の評価を見ました。学校で国語の時間に本を読む時、登場人物のセリフはその人物になりきって読む、それがとてもいいと、先生の評価でした。
これは母親である私の娘が、れなちゃんの幼い時、寝る前にかならず本を読み聞かせをしていました。その時、登場人物の言葉はそれらしい表現で語っていました。これが、れなちゃんにも移ったのでしょうか、それが、先生に評価して頂く結果となり、とても嬉しいことでした。
「三つ子の魂百まで」という諺もあります、幼いときの経験は大人になっても忘れないのです。




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