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ツモ爺のひとり言バックナンバー  (2002年1〜12月)

戦艦やまとに想う(2002年12月)

 松本零児さんの劇画に登場し、また、歌にまでなった戦艦「やまと」はあまりにも有名です。

 先日この「やまと」を生み出した呉市へ行ってきました。知人に連れられ海軍墓地を訪ねましたが、そこには戦艦「やまと」に乗艦しておられた三千余名の戦死者の名簿が碑に刻まれてありました。
3,000名といえば一つの村の住民の相当する人数です、こんなに多くの方々が一瞬に相当する短時間のうちに亡くなったということに愕然としたのでした。

 戦死者のお名前は各都道府県別に刻まれており、殆ど全国的に各府県の方が名を連ねていました。ツモ爺の住む大阪府の出身者も20余名の名が刻まれていました。

 香華を捧げ、尊い命を亡くされた方々の冥福を祈ると同時に、ツモ爺自身も胸を熱くしました。


DNAのお話(2002年11月)

福井県の馬野敏三さんという方からお聞きした話です。

私たちの体の中の遺伝子には染色体というものがあります。これがDNAです。
この染色体は数が決まっていて、人種と男女の別なく、すべての人間が64個と決まっています。

この64個の染色体のうち、半分の32個は父親から、残りの32個は母親から頂いたものです。さらにその32個の半分の16個はそれぞれ父方の祖父母と母方の祖父母から、16個の半分の8個は曾祖父母から、4個は5代前、2個は6代前から、1個は7代前の先祖からの遺伝子をそれぞれ受け継いでいるそうです。

しかも、7代前の1個の遺伝子にはそれ以前のすべての先祖のものを凝縮したものだということです。

私は両親のお陰でこの世に生を受けたのは事実ですが、私という人間に7代前の先祖の「DAN」が流れているとは、思ってもみなかったことです。

それで、ツモ爺は性格が複雑なんだ、思ってもいなかった行動を取ったり、話したり、自分という人間の中にジキルドとハイドが住み着いているのかな?などと、考えてみたりします。

でも現実に自分をコントロールするのは自分で、「良い性格」「悪い性格」を融合して生きていることを理解するのが大事なのかもしれません。


不況時代の繁盛店(2002年10月)

先日、愛媛県の新居浜市に行って来ました。お昼時で知人と一緒に「そばや」に行くことにしました。お目当ての店は12時頃は行列しているので、時間をずらして1時半頃に行きました。

ところが、その時間帯でも客の入りは9割、空いたと思うとまた新客がくるといった状態でした。私たちは”天ぷらのざるそば大盛り”を注文して、待つ時間メニユーを見ていますとこんな事が書いてありました。

「蕎麦は信州の○○村産の一級品を使っています。価格の差はキロあたりこれくらいの差があります。そして、回転速度を落として石臼に熱を持たせないようにして、そば粉を挽いて、8割蕎麦ということでした。」

やがて、約12〜13センチぐらいの生わさびが、おろし金といっしよにテーブルに運ばれてきました。待つ時間に生わさびをすりおろすこと、ひとしきり、やがてざる蕎麦が運ばれてきて、さっそくわさびをだし汁に入れて食べはじめました。

生わさびがこんなに甘くて、辛いとは知りませんでした、蕎麦湯をいれる桶、ざる蕎麦を
盛る食器も全部漆塗りの製品で、本格的な器です。

もちろん、味は本物、食べて納得しました、生わさびは、感激ものでした。ふと見ると、店の壁には主人のそばに対するこだわりの文言が貼ってあり、「なーるほど」と再度納得。

ちなみに、天ざるは大盛り、生わさびは2人に1本つきで、海老もしっかりしたものを使い一人前1450円でした。主人の言葉通りとすれば、そんなに儲からないだろうと思います。しかし、次々とお客の来店する状態が、利益を生み出すのではないかと、推察するのでした。

うどんも取り扱っているのですが、周囲のお客をみていると8割方、蕎麦を食べていました。現在、巷は不況で、しかも競争激甚の時代、本物しか通用しないことを感じさせられます。


爺(じじい)と婆(ばばあ)の出番(2002年9月)


先日、小学1年生の孫娘がオイオイと泣きながら母親と帰ってきました。
あまりの激しい泣きぶりに「どうしたの?」と聞いたところ、ショッピング・センターに水筒を忘れてきたとのこと。

母親は車で帰宅中、自宅に着く寸前に孫娘が「忘れてきた」と言ったが、夕食の準備があり「引き返せない」といって帰宅したらしい。

それで、孫娘は水筒が戻らないため、くやしくて、くやしくてオイオイ泣く。その様子を見るに見かねてツモ爺とカミさんが家から約15キロあるショッピング・センターへ孫娘を連れて車で水筒を取り戻しに行きました。

幸い水筒は見つかりホッとしました。
心なしか、それ以後孫娘と私たち老夫婦との間は距離が縮まったようです。
 


人間、最終的、とことんのところ何が欲しいのか(2002年8月)
谷沢 永一著 ”人間通” 新潮選書より

この本はツモ爺の必携の書で、ことあるごとに読み返している本です。タイトル通り、人間を知る事が大切なのはみなさんご承知のとおりです。それは、たとえ夫婦、家族の間でも同じことです。

人間は最終的にとことん何が欲しいのか、それは世に理解されることであり、人に認めらることであり人に理解され、認められれば、これほど嬉しいことはないのです。小学1年生の孫娘が始めて学校から「あゆみ」昔流にいえば通信簿をもらってきました。

それを見るとオール”よくできました”の評価でした。ツモ爺は「すごい!すばらしい!」と激賞しました。
この子の親は私ほど感激がないようでした。しかし、褒められた孫娘は得も言われない顔つきでした。
きっと、今後にプラスになっていくことと思います。

それには、以前にも書いたように、まず、人の話を良く聞くことから始まります。そして相手の顔を見つめるのです。さらに、あいづちを打ち、「それで・・・」と質問すればよいと思います。できれば相手の得意な事を聞いてあげれば相手はなお喜び、たとえ、初対面の方でも話が巧く運びます。

ツモ爺はカミサンの好きなカラオケ「今日はどうだった、うまく歌えたかい?」話題をもっていくとカミサンはとくとくとして話してくれます。

お互いに大切な家族です。相手を認め理解することが、結果において自分も認められ素晴らしい人生を送るモト(源)になります。どうか、おためしあれ!
 


有名人の秘話を2つお届けします(2002年7月)


【まずは阪神の星野監督の知られざる逸話をお話します】

ツモ爺は愛知県岡崎市の出身ですから中日球団のファンです。ところが星野監督が阪神の監督に就任と共に阪神のファンとなってしまいました。
中日と阪神が戦うときは、まさに複雑な心境です。

さて、星野監督の逸話ですが何かの本で読んで記憶していることです。

星野監督が倉敷から上京して明治大学の野球部に入りましたが、新入部員は何十人もいますから、レギュラーに入ることは夢のようでした。
もっぱら球ひろいが新入生の仕事でした。

ところが、ある日かの有名な島岡監督の目にとまり、当時の星野にバッテイングピッチャーを命じました。そのときは不思議に球がよく走ったといいます。
それ以来抜擢を受けて1年生ながらレギュラーの仲間入りをしてその後の活躍は皆さんご存知のとおりです。

その本にもこのように書いていました。「普通一般にはつまらぬ仕事を与えられたらしぶしぶやるけれど、つまらない球拾いを真剣にやる星野の姿が島岡御大の目にとまり、それがもとで、彼は檜(ひのき)舞台に登場することができた。」と、結んでいました。

私も仕事の内容によって随分いいかげんなことをしてきたことを思い出します。
チャンスは何時訪れるかわからないのですから、手抜きは絶対にしてはならないとその本を読んでからは忠実にするようになりました。皆様はいかがでしょうか。

【続いて名女優・森光子さんのストーリー】
 
森光子さんは30代まで大阪でコメディをやっていました。人気漫才中田ダイマル・
ラケットが座長の「あまから人生」で、森光子さんは”ダイラケ”にからんでアドリブいっぱいの達者な芸を見せていました。

ある日、舞台をのぞいた東宝役員で劇作家の菊田一夫は「あのコ、だれ?」と注目しました。この日、森光子の出番が無かったらその後のサクセスストーリーは無かったかも・・・。

菊田はその年の12月、東宝芸術座「花のれん」のお茶子役に森を抜擢。ついで「がしんたれ」の林芙美子役をつける。だらしない着物姿で番傘を手にしながらの出番でした。森には奇l妙なほどの存在感があったそうです。
そして昭和36年。菊田一夫作・演出「放浪記」の林芙美子で一気に主役になったことはもう書くまでもありません。
運をつかむのも芸のうちで才能だけでは出世できないのが芸能界といったところでしょうか。

「あいつよりうまいはずだがなぜ売れぬ」という川柳もあります。

でもツモ爺の考え方は、ちょっと違います。端役でも一生懸命こなす姿勢がいつか見る人をして見せているということです。古い喜劇俳優の”エノケン”も猿の端役がついたとき毎日動物園に言って猿の仕草を観察してそれを舞台のうえで演じたといいます。いわば「その他大勢」の端役の時もエノケンは真剣に演じたわけです。やがて彼は大喜劇俳優として一世を風靡したのです。

あとはもう言うまでもないでしょう。どうぞご参考に・・・
 


ストレスその2(2002年6月)

5月にストレスについて書きましたが、5月11日サンケイ・リビング紙に「心の健康を守りたい」と題してストレスについて詳しく掲載されていますので、さらにそこからピックアップします。

まず読者アンケートによれば76.5%の人が「最近ストレスを感じることがある」と回答しています。つまり、大部分の人がストレスを感じながら生活をしているわけです。

特に熟年期では、若いとき出来たことが出来なくなったり、病気の兆候が現れる体の変化に、心がついていけないことがきっかけになっているケースもあります。

また、子供の場合、子供自身が忙しく健全に情緒を発達させる余裕がないこと。その上、親のほうもストレスを抱え「子供をサポートする力が弱くなっている。そのため、子供のストレスも過重になる。」と分析しています。

そして、ストレスには3つの要素があるといっています。
・1番目は、自分がしたい欲求の高さとそれに応えられるか
・2番目は、見通しがつくか
・3番目は、支援があるか、などと書かれています。

最後にストレスの6割は、抜け出し方を知っているか知らないかにかかっている。と書かれていました。

先日もサッカーをサポートするある市の課長さんの自殺が新聞に出ていました。まことにお気の毒ではありますが、私たちにも日常茶飯事のようにストレスは起こります。

ツモ爺は2つの解決方法を取っています。
1つは先月にも書きましたように「天与の試練」つまり起こったことは、必然的で逃れようと思っても逃れることの出来ない天から与えられた課題と思い、解決を計ります。

もう一つ、これは重大であると思ったときです。この解決には「心の師」に相談します。結局、普段から心の師といった尊敬できる人を持つかどうかにかかってきます。

戦国時代は命を失いますが、現代は最悪の場合でも命はとられない、俗によく言われる「山より大きい猪はいない」また、孟子の言葉に「その人を一人前にするために試練という課題を与える」といった言葉があります。嵐もじっと耐えているうちに過ぎ去っていきます。・・・いかがでしょうか?


ストレス(2002年5月)

「ストレス」という言葉は日常よく使われます。だいたいは、マイナスのイメージにとられますが、全くストレスのない環境に置かれますと、弱っていきます。例えば年老いた親と同居して楽をしてもらおうと何もさせずに暮らしますと、どんどん弱ってきます。親孝行のつもりが意外な結果を招くことはよく知られています。

一方ストレスを強く受けそれをイナす方法がみつからないと、ダメージを受けて生きていくことができません。

アメリカのホームズヤレイという研究者はストレスを数値化しました。例えば、「配偶者の死」100点 「離婚」73点 「夫婦別居」65点 「親族の死」63点 「自分の病気や怪我」53点などの順になっています。

これらの合計が1年間に200点以上になると約50パーセントの人が病気になり、300点以上の場合は約80パーセントの人が病気になる可能性が強いと結論づけています。

ツモ爺も長い人生を過ごしてきて挫折、苦悩にさいなまされたこともたくさんありました。こんな時は神様が私に与えた試練だと思い、なんとか乗り切ってきました。つまり、気持ちまで大きなダメージを受けずに、道を手探りをしながら乗り越えてきました。

ストレスを真正面から受けても、それをヒョイとイナス方法をみつけてやってきたわけです。

 
プラス・シンキング(発想)は奇跡を呼ぶか!?(2002年4月)

株式会社クララオンライン社長の家本健太郎さんという方がいます。
彼はまだ20歳になったばかりです。15歳の時レンタルサーバーサービスを提供する今の会社を創りました。

現在は取引先も3000社を超え、年商6億円を達成と業績も急向上し、彼は一日の睡眠時間3時間という忙しさで頑張っています。

99年には『ニューズウイーク』誌の「21世紀のリーダー100人」に選ばれ、2000年9月には『フオーレスト』(新潮社)で「次の10年を動かす注目の80人」にも選ばれました。

若き天才経営者といったところですが、彼は中学生のころに不幸のドン底に叩き落とされたのです。

小学校6年生から体調が悪くなり、中学2年生のとき脳腫瘍がみつかりました。摘出手術の結果、彼の下半身に障害が残り、車椅子の生活を余儀なくされてしまいます。医師からは「生涯、車椅子の生活を覚悟してください」と宣言されました。

彼はいっさいのヤル気を失くし、呆然としてしまいます。まだ14歳でした。無理もありません。そんな時、ある車椅子のサラリーマンに出会いました。その人は彼に「これからが二つ目の人生だよ。得がたい経験をしたのだから、得をした、と思って生きなさい」と言ったそうです。

その言葉で彼は目が覚めたといいます。

会社を創ったのはその翌年です。それからは、車椅子生活ながらどんなこともプラス発想して、明るく前向きに生きてきたそうです。すると、どういうわけか99年、17歳のとき突然に両足の運動機能が回復して、もとの健常者に戻りました。奇跡が起きたのです。

事実、いま彼は何の不自由なく、歩いたり走ったりしています。

これについて、経営コンサルタントの船井幸雄さんはこう言っています。
彼のようにプラス発想で明るく前向きに生きる人は、よいエネルギーが集まってくるらしいというのが波動の原理からわかっています。よいエネルギーとは、すべてを癒し回復させるハイレベルなエネルギーのことで、現実にはこれが奇跡に見えるようなすばらしい現象を起こすようです。

と、結んでいます。あまり功利的に考えてもうまくいかないとツモ爺は思います。が、日常生活のすべてをよいことも、自分にとって不利、悪いことすべてを天与の試練と受け取っていくことは、その後の人生に幸運をもたらす、と考えます。

船井幸雄著 『本物時代の到来』 ビジネス社刊 より


動物の世界でも大きな試練が(2002年3月)

NHKテレビの「生き物紀行」で見たのですが、それは鶴のヒマラヤ山越えのシーンした。

鶴は越冬のため地球上を移動していることはよく知られています。テレビではシベリアとインドを行き来する鶴の群れを紹介するシーンがあり、それを見て感動を受けました。

インドの北にはヒマラヤ山脈6000メートル級の山々があり、それを越えて鶴が飛翔する様子は生きていくことの難しさを、まざまざと見せてくれました。

大変な高度まで舞い上がらねばならず、うまく上昇気流をとらまえなければ、山越えはできません。ある一群はかなりの高度まで上昇できましたが、気流に妨げられついに飛び越えることができませんでした。

この群れには今年生まれたばかりのひな鳥も混じっており、苛酷な試練と言えましょう。
人間世界以上に厳しい動物の世界を垣間見ました。


”パートナー”のありがたさ(2002/2月)

ツモ爺も長らく夫婦生活をやっていますが、今、独身生活をおくる男女が徐々に増えているようです。

それぞれ理由があるようですが、こんなデータが出ています。
厚生労働省の発表「主要死因別死亡率」によれば、配偶者のある人は独身者より圧倒的に死亡率が低いのです。
男性の独身者の死亡率は未婚、死別、離別を問わず、妻がいる人の約2〜3倍です。

また女性も、夫がいない場合の死亡率が明らかに高くなっています。つまり、夫婦で生活をしている人は独身者より健康で長生きできるようです。

その原因として次の2つが考えられます。

@食事を中心とする生活リズムが独身者より夫婦のほうが勝っている

・一説によると、独身者は早食いのせいで約9年半寿命が縮むと言われています

A独身者は精神的に不安定である

・話し相手になってくれる人がいないと、ストレスの発散ができない
病気やイザというとき心の支えになってくれるのはやはり夫や妻です

・以前漫才師の”リンゴ”さんが印象的なことを言っていました。
「神戸の大震災のとき、つきあっていた彼氏とすぐ結婚しよう」と思い、すぐ結婚に踏み切ったという話です。

ツモ爺も長い人生の中でピンチの時、妻に支えられたことは幾度も経験しています。また、反対に妻が悩んでいたり苦しんでいるときは、なんとか力になりたいと思ったことです。

やはり、2人で一人前として生活ができるように思いますが、皆さんのお考えはいかがなものでしょう。


人の”こころ”って難しいね(2002/1月)

年末にこんなことがありました。

ツモ爺には2人の娘がいて、それぞれ結婚して子供が2人ずついます。
長女は1分足らずの近所に住み、次女は一緒に住んでいます。
つまり世間でいう内孫2人外孫2人というわけです。

ところで、内孫の一人(幼稚園児)のクリスマス発表会が12月18日にあってそれを見に行きましたが、12月23日にあった外孫(小学6年生の女の子)のバレエ発表会には残念ながら出席しませんでした。
このことを長女は「やっぱり、内孫は可愛いんだね」と妻に言ったそうです。
ツモ爺にはそんな気持ちはサラサラなく、まさに偶然そのようになり、”えこひいき”したわけでもありません。


しかし、このような感情を与えたということに、”しまった”と素直に反省をしたのです。
このように自分では思ってもみなかったことに人は感情を害するということに気付かされたのでした。

人の”こころ”って難しいなあ!!と感じた一コマでした。
 



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